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天下の英雄 源義経の奇跡的な武功を支えた守護本尊
「金銅千手観音菩薩立像」をここに再現!

平家討伐の最大の英雄 源義経(1159〜1189)。兄 頼朝との確執から非業の死を遂げたにもかかわらず、その存在を惜しむ声は絶えません。それは弱者や薄幸の者への同情を表す言葉「判官贔屓(びいき)」が義経の官職 検非違使の尉(判官)に由来する通り、悲劇の武将だったからです。

戦国武将ゆかりの仏像を忠実に再現し、その歴史や生き方、教訓などを伝える「武将が愛した仏像シリーズ」の第五弾となる本製品は、今なお屈指の人気を誇る義経の守護本尊とされる『金銅千手観音菩薩立像』を再現したものです。ある研究によるとこの守護本尊は、千手観音像と蓮華座が鎌倉時代、仏龕(ぶつがん)は後年の作とされ、仏像本体の実寸が7センチと小さいためか、胸前の合掌手、腹前の宝珠手、左と右それぞれ六臂の合計十六臂という一般的な千手観音とは異なる造形が特徴です。
義経が幼少期を過ごした鞍馬寺の本尊「尊天」の三身一体の一尊が千手観音であり、母 常盤御前が義経を含む三人の子を出家させた際、千手観音に無事を祈願したと伝わることからも、千手観音は義経にとって縁深い仏像だったといえます。

もし、義経が「金銅千手観音菩薩立像」を手放さなければ……?

モデル像の仏龕の背面には、寿永三(1184)年 正月に義経が京都の寺院に「金銅千手観音菩薩立像」を奉納したことを示す碑文が刻まれています。この時期の義経は、宇治川の戦いで志田義広の軍勢を破って入京を果たし、敗走した木曽義仲を粟津の戦いで討ち取り京の都に鮮烈なデビューを果たした頃と推測されます。

その後、一ノ谷の戦い、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いにおいて立て続けに天才的な軍略を発揮した義経は、入京から1年余りの短期間で平家討伐を果たし絶頂期を迎えます。しかしこの歴史的戦勝こそが、兄 頼朝との確執の始まりでもありました。歴史に「もし」はタブーですが、義経が守護本尊の「金銅千手観音菩薩立像」を手放すことがなかったら、頼朝との関係もまた違っていたのかもしれません。

広大無限な功徳と慈悲で衆生を救う千手観音

千手観音は正式には千手千眼観自在菩薩(せんじゅせんげんかんじざいぼさつ)といい、千の手と手のひらの千の眼によって悩み苦しむすべての衆生に手を差し伸べます。その広大無限な功徳と慈悲から「大悲観音」、または観音の王を意味する「蓮華王」とも称されます。所願成就、災難除け、延命、病気治癒を始めとするあらゆる現世利益を網羅することから、義経の生きた時代には身分を問わず篤い信仰を集めていました。

仏師「藤田燿憶」の技と伝統工芸高岡銅器の国内メーカーにより再現!

製品のモデルとなった『金銅千手観音菩薩立像』は、紆余曲折を経て現在は和歌山県の名刹に所蔵されています。本体、蓮華の蕾を模した仏龕ともに金銅製で、保存状態も良好であったのか鍍金も良く残されています。 仏像ワールドではこの逸品をほぼ原寸で再現するにあたり、原型制作を仏師 藤田燿憶、彩色監修を彩色師 篁千礼に依頼。藤田仏師が入魂の技で彫り上げた原型をもとに、千手観音本体は日本の伝統工芸 高岡銅器の一流工房で金銅仏に仕上げ、厨子と台座は中国屈指の木彫工房で桧材を用いて彫り上げた後、姉妹ブランド「イスム」の工房で時を経た金銅を思わせる味わい深い彩色を施しました。構想から製品化に至るまで1年余りの期間を費やし制作した当製品。最終的に藤田仏師の監修を経て、署名落款の入った桐箱に納めてお届けします。

  • 千の手のうち正面で合掌手と宝珠手をなし、左右それぞれ六臂ずつ広がる、一般的な千手観音像とは異なる珍しい造形。

  • 出来上がった作品は藤田仏師の最終的な監修を経て、署名落款の入った桐箱に納まります。

  • 原型制作:仏師 藤田燿憶(ふじたようおく)

    • 1955年

      栃木県生まれ

    • 1970年

      仏師・渡邉貞光氏に弟子入りし、5年間の修行を積む

    • 1975年

      独立

    • 2012年

      (一社)「日本画府第59回公募展」初入選 「浮現観音」(奨励賞)/ 気付き観音」(入選)

    • 2013年

      「気付き観音」入選 。作家として高く評価される。
      現在は本拠地の東京で仏像彫刻講座を開くほか、日本橋高島屋など全国の有名百貨店で個展を開催し、仏像普及のため精力的に活動する。

  • 彩色監修:彩色師 篁千礼(たかむらちひろ)

    女子美術大学、太平洋美術研究所に在籍後、1987年、彩色木彫作家 平野富山氏に入門。その後、富山の後継者である平野千里氏のもとで20数年にわたり修行を積む。2012年に独立し篁千礼彩色研究所を設立。誰もが親しみやすい温かみのある作品から芸術性の高いものまで幅広い創作活動を行う。

天才的軍略で平家を討伐した悲劇の英雄 源九郎判官義経!

源義経(1159〜1189)は河内源氏の源義朝の九男として生まれ、幼名を牛若丸といいました。平治の乱で父が敗死したことにより鞍馬寺に預けられますが、後に平泉へ下り、奥州藤原氏の庇護を受けます。その際、異母兄である源頼朝が平氏打倒の兵を挙げると義経も馳せ参じ、一ノ谷の戦いでは「鵯越(ひよどりごえ)の逆落し」、屋島の戦いでは「弓流し」、壇ノ浦の戦いでは「八艘(はっそう)飛び」など各合戦場での奇跡的な活躍を経て平氏を滅ぼし、平家討伐の最大の英雄となりました。

義経は死なず! 今も人々の心に語り継がれる義経の物語。

栄光と挫折が激しく変転した義経の生涯は日本人の琴線を刺激し、軍記物語の「義経記」「平家物語」には、五条大橋での弁慶との戦いや源平合戦での活躍、静御前との悲恋が書き記され、そのドラマチックさ故に歌舞伎や人形浄瑠璃、能の演目に義経を主人公とした「判官もの」というジャンルを生み出しました。また歴史的英雄の死を受けとめられない人々の思いから、義経は衣川の戦いの難を逃れたとする「義経生脱説」が囁かれ、江戸時代中期になると、義経は蝦夷に落ち延びアイヌの棟梁になったとの説まで生まれました。
さらに江戸時代末期に来日したフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは、源義経が成吉思汗(チンギス・ハーン)であったとの大胆な論を説き、義経を愛する人たちの心を強く打ったことから大正時代には『成吉思汗ハ源義経也』(小谷部全一郎著)が出版され一大ブームとなりました。昭和に入ると義経=成吉思汗の決定版的名著『成吉思汗の秘密』(高木彬光著)が出版され、「義経生脱説」誕生から300年を超える長きにわたり、義経の物語は語り継がれているのです。

武将が愛した仏像シリーズ第五弾「源義経 金銅千手観音菩薩立像」発売記念

武将が愛した仏像シリーズ第五弾「源義経 金銅千手観音菩薩立像」の発売を記念し、先行予約先着20名様に、千手観音像本体を守護本尊として携帯できる西陣織の巾着をプレゼントいたします。



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武将が愛した仏像 源義経 金銅千手観音菩薩立像

商品コード : 560-271
価格 : 98,000円(税込)
ポイント : 2,940
数量
 
サイズ
本体(約):高さ85×横44×厚み16mm 135g
厨子・台座(約):高さ185×幅9×奥行65mm 147g
素 材
本体:ブロンズ
厨子・蓮華座:桧
納 期
3〜5日

【商品についてのご注意】
・商品写真は実際の商品の中から無作為に選んだものを撮影しております。
・商品は一体一体手作業で仕上げを行っており、高レベルな均一化を図っておりますが、まったく同一の商品はございません。また、木目や表情などが一体、一体異なります。
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商品番号 560-271
商 品 名 武将が愛した仏像 源義経 金銅千手観音菩薩立像

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